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従うことにする

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ここまで広い情報網を持つ「ストリクス」は間違いなく有能だ。そう考えると、このルートマップにもきっと何か理由があるはずだ。 それに、「幾度春」は、オークションの開催日は敷地を開放し、一般観覧を受け付ける……とネットに書かれていたことを思い出した。時間帯によって、芸妓の歌舞披露やお話会の時間もあるから、いつも混雑するらしい。早く入場しようと、かなりの人数が徹夜してまで並び、俗に言う「徹夜組」になっているそうだ。 だから私は言われた通りにすることに決め、すぐに出発した。 ルートマップを見ながら向かっていると、地下鉄がいつどこの駅に到着するかが精確に記されていることに気づいた。これに従っていれば、どの乗り換えも完璧にこなすことが出来るし、全ての交差点を青信号のまま渡ることが出来る。 目的地に着くと、時間は到着予想通りの六時四十三分だった。この計算の精確さにはつくづく感服する。 だが順調なのもここまでだった。「幾度春」の入口に着いたが、そのまま入ることは出来ないらしい。目の前にはS字型の行列が出来ていて、街の入口まで伸びて、そこからまた折り返してきている。私と「幾度春」の正門の距離はどう見てもたった十メートルほどなのに、辿り着くには膨大な時間がかかりそうだ。 世界で最も遠い距離、それは地の果てでも、同じゲームの異なるサーバーでもない。列の先頭から最後尾までの距離だ。最後尾の人間が入る頃には、先頭の人間はもう出てきているかもしれない。 列の長さに圧倒されていると、スマホに一通のショートメールが届いた。 [非通知](ショートメール)正面11時の方向。 振り向くと、スマホを持った手をこちらに向かって振るノアがいた。彼女の隣には見慣れた人物が立っている。あの日、玖辻の事務所にいた「彫像」の一人だ。 私を見つけると、「彫像さん」はツカツカとこちらへやって来て、手に持っていた袋を私に手渡しながら、さっきまで自分が立っていた位置に私を押しやった。そこでようやく、彼が私に代わって並んでくれていたのだと理解した。 渡された袋を開けると、まだ湯気の立っている朝食が入っていた。ノアは口を尖らせて俯き、スマホを素早く操作した。すると、私のスマホが振動した。 [非通知](ショートメール)早く食べて。8時の入場後は食べるものがなくなるから。 ショートメールを送ってきてたのはこの人だったのか! でも、入場したら食べるものがないってどういうことだろう? 尋ねようとした時、入口に立てられている看板が目に入った。そこには「オークション中は食物の持ち込みを禁止します」と書かれていた。 私は玖辻の発言を信じ始めていた。ノアは、無口すぎる点以外は確かにとても優秀だ。対面している時は、ショートメールではなく言葉でやり取りしてくれれば完璧なんだが…… ゆっくりと朝食を食べ、食事が済むと、間もなく私たちの番が回ってきた。ノアは私の腕を軽く叩き、取り出した二枚のチケットのうち一枚を私に寄越した。 彼女がショートメールを打とうとしているので、慌てて止めさせ、頷いた。 [player]理解した。これ、君が用意してくれていたチケットなんだね。 彼女は私に向かってわずかに口角を上げてみせた。軽く微笑んだらしい。しかしすぐに身を翻し、入口の受付へと私を連れて行った。 あまりに速すぎて確信が持てないが、さっき、彼女は本当に笑ったのだろうか。この子、もしかしてちょっとツンデレ入ってるとか!? 受付を済ませると、私たちは列に従って「幾度春」の門扉をくぐった。オークション参加者は最初の分かれ道で他のお客さんと分かれ、オークション専用会場へと進んだ。 迷宮のように曲がりくねって交差する長い廊下を抜け、ようやく花で満たされた広間に辿り着いた。朱塗りの柱にツル状の花が巻きつけられており、会場中を春の気配で彩っている。 装飾に用いられている花はどれもよく見かけるものだったが、ノアがポケット百科事典もかくやという感じで逐一送ってくれた紹介文によると、このオークションに出る切り花は「幾度春」が丹精込めて育てているもので、とても珍しい品種なのだという。例えば私たちが参加するオークションで競売にかけられるのは、純金花茶、紅珊瑚のミヤマシキミ、白雪の牡丹だ。 私は座席に置いてあった「オークションガイド」を手に取った。目を通してみると、「幾度春」のオークションは他のよくあるオークションとは形式が違うことに気づいた。売り手が価格をコールするオークション、もっとわかりやすく言えば「値下げ式オークション」なのだ。 このルールでは、基本的にせり人が最高価格を提示し、買い手がその価格で入札する。誰も入札しなかった場合、そこから徐々に値下げして、新たな価格を提示する。それは、誰かが競り落とすか、委託者が事前に決めた最低価格を下回り、オークションが流れてしまうまで続く。 その間に、二人またはそれ以上の買い手が入札した場合、そこから増額した値段を提示する。その時になって、よく見る「増額オークション」の形式になるのだ。その後は、入札する人がいなくなるまで値上げし続ける。 私たちは指定席に座り、オークションが始まるのを静かに待った。しかし、ノアがショートメールを送り続けてるせいで私のスマホが絶えず振動し続け、周囲の人は私のポケットに妙な眼差しを向けた。 私はため息をついてスマホを取り出し、彼女が送ってきたショートメールを読んだ。 [非通知](ショートメール)毎回大勢の人が来るけど、ほとんどが誰かのおこぼれをもらおうと思って来てる人。でもお金持ちで勢いのある人も、この機会に東城玄音とお茶を楽しもうと思ってる。 [非通知](ショートメール)情報によると、東城玄音ってもう何年も踊りや三味線を披露してないんだって。でも、伝説の四貴人の一人として彼女を崇拝してる人達が、全てを惜しまずに会いに来るみたい。 [非通知](ショートメール)だから、オークションが始まったら、しっかりチャンスを掴んで。 この一連のショートメール、なんだか不安になるな。 [player](ショートメール)このブラックカードって、ちゃんとお金が入ってるんだよね? 入札しようとしたら払えなかったりしないよね? ノアが私をちらりと見た。その驚きと軽蔑を込めた目で確信した。私の考えすぎだ。玖辻はお金持ちに違いない。 [非通知](ショートメール)このカードには1000万コインが入ってる。これまでのオークションでの落札価格を参考にした金額なの。今までこの金額を越えて取引が成立した記録はない。 やっぱり余計な心配だった。玖辻のやつ、私よりも稼いでそうな顔をしてたしな。だって私の場合、堂々としていられない時には多少なりとも赤面してしまうし。 というか、どうして私まで会話方法を声からショートメールに変えたのだろう? 対人恐怖症というのは人から人へ伝染するのだと説明する他なさそうだ。 [非通知](ショートメール)もちろん、今日想定外のアクシデントが起こらないとも言えないから、警戒を怠らないでね。 ノアは忠告のショートメールとともに、「十七」と書かれた番号札を私に手渡した。 [非通知]これがあなたのオークションの番号札。失くさないで、後で入札する時にこれを掲げないといけないから。 [player](ショートメール)わかった。 [player](ショートメール)あの、ちょっと聞きたいことがあって。 [非通知](ショートメール)早くして、もうすぐ始まる。 [player](ショートメール)どうしてショートメールでも、正しい句読点をつけるの? そのせいで私も打ち終わる度に句読点を確かめてから送ららざるを得ないんだけど。 [非通知](ショートメール)…… [非通知](ショートメール)あなたには関係ない。 [player](ショートメール)ふーん システム表示:PLAYERがショートメールの送信を取り消しました。 [player](ショートメール)ふーん。 座席が次第に埋まっていき、オークションの始まりを告げるドラが鳴り響いた。音の方を見ると、ステージ脇に金色のドラがあり、そこから発せられた音によって会場は瞬時に静まり返った。それは高校の騒がしい自習中、誰かが後ろの教室ドアの窓に担任の顔があるのを発見した時のようだった。 「幾度春」のせり人がゆったりとした足取りで登壇した。妖艶な雰囲気で、腰元に煙管を差しており、結われた豊かで美しい髪に挿したかんざしが、歩くリズムに合わせて小刻みに揺れている。周囲の人が彼女に敬意を示している様子を見るに、彼女がここのリーダーなのだろう。彼女が手を叩くと、花を手にした三人の少女が次々と現れ、ステージの前に立った。 [競り人]此度競りにかけます切り花は、純金花茶、紅珊瑚のミヤマシキミ、白雪の牡丹の三種どす。全て「幾度春」で丹精込めて育てた品どす。まずはとくと見とくれやす。 彼女がそう言うと、花を持った三人の少女が中央のステージに沿って私たちの前をゆっくりと通り過ぎた。立ち止まる時間は絶妙で、花をよく見るには十分だ。 最初の花は純金花茶だ。中心には赤ちゃんの握りこぶしくらいの大きさの黄色い椿が、何本か丸く束ねられていて、星々が月を抱くかのように銀白色のかすみ草が周囲を囲んでいる。少女が花を窓辺へ持っていくと、陽光が花びらに落ち、流れるような光を放って煌めいた。その時、何故この花が純金花茶と呼ばれているのかわかった。 次は紅珊瑚のミヤマシキミだ。ミヤマシキミ自体、簡単に栽培出来る品種ではないのだが、このミヤマシキミの実は普通のものと比べて、日に当てると宝石のようにキラキラと透き通る。全体としては、余計な花を加えたりせず、モンステラの葉を周りに敷きつめ、間にシロタエギクの葉が差し込まれている。その中央に紅くつややかなミヤマシキミが鎮座する様子は、まさに白砂に囲まれた紅珊瑚の名にふさわしい。 最後は、白雪の牡丹。その名の如く、白雪塔という品種の、葉が対になって生えている二輪の大ぶりな牡丹だ。ぱっと見では、花の直径は17、8センチ、高さも10センチほどありそうで、花の王の名に相応しい姿をしている。花びらは白銀の雪のようで、中央のほんのりピンクに色づいた花びらの底には明るい黄色の花芯があり、ユーカリに引き立てられてどこか浮世離れした優雅さを見せている。 切り花を見せ終えると、三人の少女は再びステージの前に立った。 [競り人]これより皆さま方に、十五分ほどお時間を差し上げます。その後、一つ目の「純金花茶」から競りを始めます。 [非通知](ショートメール)言っておくけど、三つの切り花のオークションには誰でも参加出来るけど、落札出来るのはそのうちの一つだけだよ。 [player](ショートメール)つまり、私が一つ目の花束を落札したら、他の二つは参加しても無駄ってこと? [非通知](ショートメール)そう。 [非通知](ショートメール)そういえば、どうしてあなたのスマホで私が非通知って表示されるの? [player](ショートメール)? [非通知](ショートメール)あなたのスマホ、見られてる。 私は少し手を止め、隣の人が無言で見つめる中、アドレス帳に電話番号と名前を登録した。 [player](ショートメール)アイデアがあるんだけど。私たち二人で一つずつ花束を競り落として、確率を上げるのはどう? [ノア](ショートメール)無理。オークションの参加権利って競争率高いんだよ。私達がずっと頑張っても、あなたが持ってるその番号札1枚しか取れなかったんだから。 [player](ショートメール)…… [player](ショートメール)じゃあヒントを出してよ。どの花束に入札すべきか、とかさ。 [ノア](ショートメール)昨日ボスが言ってたでしょ? トレーディンググッズ形式みたいなもので、法則なんてものもないの。いつも裏ドラに賭ける時みたいに選べばいい。 それなら、入札するのは……